2024年11月18日、百条委員会を欠席した竹内英明氏が議員を辞職をしたことがわかりました。
前日の11月17日には斎藤元彦氏が兵庫県知事に再当選したばかりであり、竹内英明氏のこのタイミングでの辞職が波紋を呼んでいます。
そこで、本記事では竹内英明氏がこのタイミングで辞職した理由について調査してみました!
竹内英明が百条委員会を欠席&議員辞職
11月18日、百条委員会を議員の竹内英明氏が欠席。
事務局側に欠席の理由を確認したところ、「本日(11月18日)、議員を辞職した」とのこと。
他の議員の方々の動揺ぶりを見るに、竹内英明氏が辞職したことを認識していない議員もいたようです。
なぜ突然議員を辞職したのでしょうか?
竹内英明の本当の辞職理由は?
竹内英明氏の突然の辞職理由には、様々な憶測が飛び交っています。
- SNSでの誹謗中傷により身の危険を感じたのでは?
- 斎藤元彦氏に関する「デマ発信」の真偽を追及されることを恐れて逃げた?
SNSを見る限り、この情報が一番多かったですね。
本人曰く、公式の発言では「一身上の都合」としています。
一体「一身上の都合」とは何でしょうか?
辞職理由は母が亡くなったことでメンタルが崩壊した?
死因は病気とのことですが、何の病気だったかは公表されていません。
竹内英明氏は自身で日々の出来事をブログで綴っていたのですが、10月27日の母親への想いを綴ったブログを最後に、更新が止まっています。
なぜこんなにつらいのでしょう。いろいろ考えました。
これまでの人生で一番で飛び抜けてお世話になったのが母なのですね。
だからこれまでのお別れで一番寂しい。涙が止まりません。
引用:アメブロ
こちらは最後の更新ブログの一文ですが、相当にお辛そうなのが伝わってきます。
竹内英明氏は母親にしてもらったことを下記のように語っています。
- 自身が小さい頃は厳格で母親が子供達のしつけをしてくれていた。
- 兄弟3人分け隔てなく同じように育ててくれた。
- 勉強しろとは言わず、自分の興味のあることに関心を持って応援してくれた
- 大学進学時の経済的負担は重かったが、4年間しっかり支えてくれた
- 政治家の職業を選択した時も受け入れてくれ、ずっと支えてくれた
これだけでも、ものすごい母親の愛情を感じますね。
そんな母親が亡くなったことを受け入れられず、悲しみに打ちひしがれてしまったのでしょうか?
また、辞職理由の「一身上の都合」のとして、
と竹内英明氏は語っているとか。
「母親の死」と「SNSでの度重なる誹謗中傷」
この2つが重なったことにより、竹内英明氏のメンタルが限界に来てしまったのかもしれません。
その場合、確かに「一身上の都合」ではありますね。
こちらはあくまでも著者の考察となりますことをご了承ください。
議員辞職後、全く音沙汰がない竹内英明氏ですが、家族とゆっくり過ごされているのでしょうか?
続報ありましたら、追記していきたいと思います。